森簡易裁判所 昭和42年(ろ)2号 判決 1967年12月23日
主文
被告人は無罪。
理由
本件公訴事実の要旨は、
「被告人は、昭和四二年一〇月二日午後零時四三分ころ、茅部郡南茅部町字尾札部七三番地の自宅店舗前から字尾札部八木橋までの約四五〇メートルの道路において、自動二輪車(南茅部町A180排気量五八cc)を運転するにあたり、同区間の道路は幅員約五・五メートルで狭い舗装路であるうえ、一部は見透しが不良な曲線であり、かつ道路両側の随所に民家その他の造作等が道路側端に設置され、それらの蔭から出てくる横断歩行者等を直前において不意に発見することとなるような、危険な道路であつたのに右手でハンドルを操作し、左手に出前箱一個(長さ四七センチメートル、高さ三〇センチメートル、巾二六センチメートルのステンレス製、総重量約六キログラム)をさげ、あるいはこれを胸部前面に吊るように持ち、危急の場合には警笛吹鳴も、正確なハンドル操作も、又安全に急停止もできない状態で、毎時約二〇キロメートルの速度で同車を運転進行し、もつて道路及び交通の状況に応じ、他人に危害を及ぼさないような速度と方法で当該車両を運転しなかつたものである。というのである。
被告人が、右日時頃、肩書自宅店舗前から前記八木橋まで約四一五メートルの道路において、前記自動二輪車を、右手でハンドルを操作し、左手で前記のような出前箱一個を自車左側にさげ、あるいは左肘を曲げて胸部前面に吊るようにして持ち、毎時約二〇キロメートル程度の速度で運転したこと、およびその自動二輪車の左ハンドルには警音器が装備されており、そのほかには警音器がなく、従つて右運転遂行中被告人が警音器を吹鳴することは不可能な状態であつたこと等は、被告人も自認するところであり、証人伊川敏の当公判廷における供述の一部、当裁判所の検証調書等によつて明らかである。
問題は、右のような運転方法が、周囲の状況に照らして、道路交通法第七〇条にいわゆる「他人に危害をおよぼ」すおそれのある運転方法かどうかである。このような運転方法は、一般的にいえば、通常の方法と比較して、より危険な方法であることは疑いない。また交通戦争という言葉さえきかれる今日、避けることが望ましい運転方法の一つであること、周囲の状況の如何によつて同法条違反の行為に該当することもありうること等は、いうまでもない(この点は、被告人、弁護人とも異論がないようである。)殊に、本件の場合出前箱の形状重量を考えると、一層その感が深い。
しかし、検察官も認めるとおり、本条のように必らずしも意義の明確でない取締規定の解釈に当つては、罪刑法定主義のたて前からいつても、拡張解釈は十分慎しまなければならず、当該事件の具体的諸状況に照らして、相当厳格に解釈する必要がある。そこで、事件当時の状況を検討するに、前掲各証拠を綜合すると、右事実のほか、次のような事実が認められる。すなわち、当時は気候のよい一〇月初旬の天候もよい昼間で、本件道路の右区間は格別損傷個所もない平坦な舗装道路で、舗装路面の幅員は少なくとも五・五メートル以上あつて、それ程狭くはなく、曲線はあるが比較的ゆるやかで、最も見とおし困難な個所でも、道路の中心線から同中心線を五〇メートル以上を見とおすことができ、複雑な交差点もなく、交通量は一般的にそれ程頻繁ではなく、特に事件当時は時間的に非常に閑散なときであつたこと、被告人は本件自動二輪車および同種の車について相当の運転経験を有し、このような運転方法で当該道路を何度も走行したことがあり、しかもその際事故等を起したことはないこと、警音器とライト上下の切替以外の装置はすべて右ハンドルあるいは左右の足によつて操作すべき個所に装備され、確実に操作することのできる状態であつたこと、被告人は一七〇センチ以上の身長があつて、右自動二輪車に乗つたまま両足を地面につけてなお余裕があり、さらになんといつても当時の速度は、せいぜい毎時約二〇キロメートル程度であつたから、ほとんどいつでも確実に急停止等の措置もとれる状態であつたこと、被告人の本件走行距離は約四一五メートル程度にすぎなかつた等の事実が認められる。そのほか、義手を用いることを条件とされてはいるが片腕欠損者にも自動二輪車の運転が免許されており(加藤泰治の検察官に対する供述調書)、飲食店のいわゆる出前のためのこの種運転方法について、その取締ないし行政指導の実情は一般に必らずしも徹底しているともうかがい難い(証人伊川敏、同米沢繁三の当公判廷における各供述参照)。以上の諸事情を綜合して考えると、被告人の本件運転行為をもつて「他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転しなかつたもの」と認めることはできない。
証人伊川敏は当公判廷において、事件当時被告人の自動二輪車の走行速度は毎時二〇キロないし三〇キロ程度であつたと述べ、同証人および証人米沢繁三は、当公判廷において、本件運転方法の危険性について検察官の主張にそう趣旨の供述をしており、加藤泰治の検察官に対する供述調書には、片手運転の危険性について、同様の供述記載がある。しかし、いずれも取締官側の立場に立つた誇張がみられ、これらの点は採用し難い。その他被告人の本件運転行為をもつて、被告人が、道距交通法第七〇条にいわゆる「他人に危害をおよぼさないような速度と方法で運転しなかつたもの」と認むべき資料はない。
なお、検察官は警音器を吹鳴することができないような方法で運転すること自体が同条違反の行為に該当する旨主張する。しかし、本条の趣旨とするところは、運転者以外の者に危害をおよぼすおそれのある運転方法を禁ずる点にあると解されること、警音器の使用は、ハンドル操作等と異なつて必要な場合が限られ、その使用も制限されていること(同法第五四条参照)、警音器は他の者に自車の存在を知らせて警告を与えるためのものであるというその性質上、警音器を使用することができなくとも、状況によつては声で知らせることもでき、一旦停止し、あるいは減速する等の方法で十分事故の危険を避けることも可能であること等を考えると、周囲の状況からみて、事故を防止するために警音器の吹鳴が是非必要であつたとか、その必要が十分予想されたのに、漫然警音器を使用しないで、あるいは使用することができない状態のまま運転進行した等のため、それが他人に危害を及ばすおそれのある運転方法と認められる場合は別として、本件のようにそれらの状況が認められない場合は、本条の違反に当ると解することはできない。
以上要するに、裁判所としては、当時の諸状況に照らして、被告人の本件運転行為が現行道路交通法第七〇条違反の行為に該当するものとは認めることができなかつたわけである。
そこで、刑事訴訟法第三三六条により、主文のとおり判決する。(小川英明)